季刊スカイスポーツ <WINTER> イカロス出版



飛行機のプロがホームビルドの
機体をゼロから作る。
そして、全国を飛び回れる機体にしたい。
パイロットもいる、
技術者もいる。
サポートする人達もいる。
しかし、それは遠く険しい道のりなのだ。



飛行機のプロがよってたかって
小さな軽飛行機を作りはじめた

 安村佳之さんは、三菱重工のテストパイロットだ。自衛隊で戦闘機パイロットを務めたあと民間に移り、現在は県営名古屋空港に隣接する三菱重工 業竃シ古屋航空宇宙システム製作所小牧南工場で防衛庁に引き渡される戦闘機などの試験飛行や新型機の開発などを行っている。

「パイロットになること、そして自分で作った飛行機を飛ばすことが夢です」という最初の夢は、見事に実現できた。しかし自分で作った飛行機を飛 ばすというのはそう簡単ではない。三菱重工は日本を代表する航空機製造メーカーであるとはいえ、テストパイロットの安村さんにも飛行機を作らせ てくれるわけではない。

 ところがある日、隣県の各務原市で「皆で飛行機を手作りして飛ばそう」という計画のメンバーを募集していることを知った。小牧から各務原まで は車で1時間とかからない距離にある。そこでテストパイロットの先輩であり上司でもある渡邉吉之さん(F−2支援戦闘機の初飛行を務めた)とも 誘い合わせて、参加することにしたのである。

 この計画は、もともとは(社)中部航空宇宙技術センター(当時は(社)中部宇宙産業科学技術振興センターと中部航空産業技術振興協議会)が立 案したものだった。中部地方には川崎重工や三菱重工、そして富士重工など日本を代表する航空宇宙産業の拠点が数多くあり、同センターは中部地方 における航空宇宙産業のさらなる発展や振興のためのさまざまな活動を展開している。その一環として一般の人が気軽に参加して飛行機のことを学べ る活動を展開しようということになった。

具体的には川崎重工から同センターに出向していた柳瀬元昭さんが音頭をとり、アメリカから小型機のキットプレーンを購入。これを各務原市に寄贈し、かかみがはら航空宇宙博物館(現在はかかみがはら航空宇宙科学博物館に改称)の修復工房や工作機械などを使って「ホームビルト機製作体験教室」を開催することになったのである。

「当初集まったのは60数名。驚いたことに、その約8割は川崎重工や三菱重工の現役やOB、いわば飛行機作りのプロたちだったのです」と柳瀬さん。

 普段から時代の最先端をいくハイテク航空機を作っている人たちが、どうして小さな飛行機を手作りしたいと思ったのだろう。

「航空機製造メーカーではスタッフも高度に分業化しており、それぞれが担当するのは航空機のごく限られた部分にすぎません。自分は飛行機を作っ ているのだという実感は、なかなか得られないかもしれませんね。しかし小さな軽飛行機ならば、すべてを自分たちの手で作ることができ、ひょっと したら自分たちの手で飛ばすこともできる。もともと飛行機が好きでこの道に進んだ人たちですから、それはとても魅力的なことなのです」


予算不足で計画は中断したが
NPO設立で執念の完成をめざす

 製作機として選ばれたRV−6Aは、アメリカのバンズ・エアクラフト社が製造・販売するキットプレーンだ。同社は単座のRV−3から4座のR V−10までさまざまなホームビルト機をラインナップしているが、各務原に近い中日本航空専門学校でも複座のRV−4を制作した実績があった。

「公的機関が主導するものですから、怪しげなものを作るわけにはいきません。しかし中日本航空専門学校で製作を指導した山崎忍先生も『この機体 ならば大丈夫だろう』と太鼓判を押してくださいました。ただしRV−4のようなタンデム(直列)複座よりはサイドバイサイド(並列)複座の方が 整備性や操縦席の使い易さの面からよかろうということで、RV−6Aを選んだのです」

 RV−6はアメリカでは1000機以上が販売されているベストセラー機で、完成すればセスナやパイパーなどといった大手メーカー製の軽飛行機 にひけをとらない金属機である。尾輪式のRV−6と前輪式のRV−6Aとがあるが、選ばれたのは地上でのとりまわしの容易なRV−6Aだった。
 製作がスタートしたのは2000年12月。毎週1〜2回(土、日曜日)のペースで集まっては製作を進め、わずか2年ほどでエンジンや計器類をの ぞく機体主要部分をほぼ完成させることができた。キットとはいえかなり快調なペースで作業が進んだのは、やはりさまざまな「ヒコーキのプロ」が 集まっていたためだろう。なにしろリベットひとつを打つにしても、正確に、ガタなく、しかも美しく仕上げるには相当の訓練を必要とする。こんな ときにメンバーを指導できるプロがいるのは心強いし、必要な専門知識や技能を持った会社の同僚やOBにさらに声をかけることもできる。

 テストパイロットとしては一流だが飛行機作りでは素人の渡邉さんや安村さんも

「いちおう三菱の人間として恥ずかしくないようにと、リベットの打ち方や工具の使い方について、工場の専門家から前もって指導を受けてから参加しました(笑)」

というが、製造プロの前では付け焼き刃も通用しなかったことだろう。体験教室では改めて各自のスキルに応じた訓練とレベル分けがなされ、数人単位のグループに分けて仕事がわりふられた。

「自分で苦労してみて、リベットの1本1本に魂がこもっているんだと実感しました。そうして魂をこめたリベットが、次に来たときにはプロの手で 打ち直されてしまってガックリきたこともよくありましたけど(笑)。でも、こんなに楽しいことをやめるわけにはいかない」と渡邉さん。

 ところが2003年度になって、この計画は頓挫してしまう。諸般の事情から追加の予算が認められず、エンジンや計器などを調達するメドが立た なくなってしまったのである。製作に関わったメンバーは、なんとか製作を続行できないかと考えたが、中古エンジンを調達するだけでも約200万 円もの費用がかかる。無理をすればメンバーの頭割りで負担することも可能かもしれないが、それでは広く市民の手で飛行機を手作りしてみようとい う当初の理念が薄れてしまう。

 そこでメンバーの人たちは行政や他の法人に頼ることなく自主的に運営ができるように、NPO法人(特定非営利活動法人)を設立して活動を引き 継ぐことにした。こうして2005年7月に設立されたのがNPO法人「MACH B&F」である。
「MACH」は音速のマッハと同じスペルだが、ローマ字で「みんなで、あつまって、ちっちゃな、ひこうき」と書いたときの頭文字にもなっている。 「B&F」は「ビルド&フライ」の頭文字だ。つまり「皆で集まって小さな飛行機を作って飛ばそう」という意味になる。実際には他にも色々な意味 があるそうだが、要するにそういう名前である。


夢は日本全国を飛びまわること
実現できない理由はないはずだ

 NPO法人を設立したからといって、それでどこかからお金が転がり込んでくるわけではない。ただし活動のフィールドは、従来よりも格段と広が った。

「あくまでホールビルト機の製作を核にしながら、青少年を含む幅広い人たちを対象とする講演会やイベントなど、より広く航空スポーツ文化の普及 や啓発に関わる活動を展開していきたいと考えています」とNPO法人理事長に就任した榊達朗さん。

川崎重工の出身で、ボーイング767や777の共同開発事業のためにアメリカに駐在していたこともあるという、やはり飛行機のプロである。

 こうしてみると設計・製造・飛行のプロが集まった「MACH B&F」は強みを発揮する。航空教室を開催するにも講師には事欠かないし、プロ のパイロットによる操縦教室だって開ける。実機を使っての訓練はなかなかむずかしいが、すでに3面のディスプレイを備えた「飛行教育用フライト シミュレーター」も用意されており、多くの人に飛行機を操縦する楽しさを体験してもらおうという準備も整えられている。このフライトシミュレー ターは市販パソコンとFS2004(Microsoft社製)をベースにしたものだから、ハードウェアだけならば個人の趣味でそろえられるレベルだとは いえるが、メーカーの現役テストパイロットが指導してくれるとしたら、これは魅力的である。

 こうした活動を通じて「MACH B&F」に対する理解と評価が高まれば、いずれは機体部品などを調達するための補助金やスポンサーがつくこ とも期待できる。だが、たとえ資金的なメドがついたとしても、本当の難問はそのあとに控えている。飛行機が完成しても、それを飛ばすためには航 空局の許可を得なければならないのだ。
飛行機は耐空証明がなければ飛ばすことはできない(航空法第11条)が、耐空証明を取るためには(もちろん耐空証明がないうちから)試験飛行等を 行う必要になる。そこで耐空証明のない飛行機でも国土交通大臣の許可を受ければ飛ばすことができるという規定がある。それが「航空法第11条ただ し書き」だ。
ホームビルト機など耐空証明がない機体を飛行させるためには、このただし書きにかかわる書類審査や検査などをパスし、地上滑走、ジャンプ飛行と 段階的な飛行試験を完了して初めて一般的な飛行が許可される。この機体でもここまでの飛行は可能だが、他のマイクロライト機などと同様に、せい ぜい飛行場の場周経路の範囲の飛行しか許可されない可能性が高い。

「しかし私たちは、この機体で日本中を飛んでみたいと思っているのです」と安村さん。
普通ならば、とても無理だ。

「どうして無理なのですか」

 耐空証明の中にエクスペリメンタルというカテゴリーのあるアメリカならば、ホームビルト機でもクロスカントリー飛行を含めかなりの自由度で空を飛ぶことができる。しかし、日本にはアメリカのようなエクスペリメンタル・カテゴリーはなく、ホームビルト機を飛行させる場合は、使用飛行場、 飛行高度、飛行範囲などかなり細かく制約された上でのみ許可される。これは、地上や飛行の安全に十分配慮した結果だと考えられるが、見方を変え ると、戦後日本の自作航空機文化が乏しく製作もほとんど行われなかったため、アメリカのようなカテゴリーが生まれてくる環境が育ってこなかった のではないだろうか。
要するに、いくらアメリカで1000機以上の販売実績を誇り、アメリカではセスナやパイパーなどのメーカー機と同じように空を飛んでいるホーム ビルト機であっても、しかも飛行機のプロたちが(たとえ全員が製作のプロではないにしても)飛行機のプロとして恥ずかしくないように作ったもの であったとしても、日本では場周飛行しか認められない可能性が高いのだ。

 しかし「MACH B&F」のメンバーの多くは、「メーカー機」を自分たちの手で作っている。成層圏の彼方で国防の任につき、あるいは数百名 もの乗客を乗せて空を飛ぶ飛行機を作っているのと同じ人間が、同じような注意を払って作った飛行機なのに、どうして飛行場周辺しか飛べない理由 があるだろうか。

「私たちも最初は無理だと思っていました。でも、いまは本気で日本中の空を飛んでみたいと考えています」

そうだ、飛べない理由はない。


将来はオリジナル・ホームビルト機を
RV−6Aはその第一歩にすぎない

 「MACH B&F」のRV−6Aは、素人目にはメーカー機とまるで遜色がないように作られている。ホームビルト機でここまで凝るかなと思うような作りだ。エンジンだって、中古ながらオーバーホールされて耐空性も書類もしっかりした航空用を装備する予定である。ホームビルト機ならば自動車用エンジンを装備することも珍しくないし、航空用でも素性の怪しいエンジンならばいくらでも安く手に入る。しかし、それでは航空局を説得することはむずかしい。だからあくまで「本物」にこだわる。

 これはとんでもないことになってきたなと思ったが、ホームビルト機で日本中を飛ぶことが「MACH B&F」の最終目標ではないと聞いてさら に驚いてしまった。

「せっかくこれだけのメンバーがそろったのですから、やはり設計からオリジナルのホームビルト機を作って飛ばしたいじゃないですか。もちろん最 初からそんなことをいっても身の程知らずでしょう。ですからRV−6Aを手始めに他のキットなども製作して経験と実績を積んだうえでの、将来の 目標と考えています」

 なんて素晴らしい話なのだろう。川崎重工や三菱重工など日本を代表するメーカーの人たちが中心となって、ボランティアでオリジナル機を設計し、 製作し、飛ばす。ひょっとしたらバート・ルータンさえ驚かすことができるようなユニークな機体が生まれるかもしれない。

 こうした夢を実現するためにも、ホームビルト機で日本全国を飛ぶという計画はぜひ実現しなければならない。ただ飛ばすだけならば、日本が駄目 でもアメリカに持ち込んでNナンバーで登録するという方法もあるだろう。しかしそれでは、せっかくの生まれようとする日本オリジナル・ホームビ ルト機の未来の芽を摘み取ってしまうことになりかねない。

 そもそもホームビルト機を作ろうという計画は、日本の航空宇宙産業の中心地である中部地方の航空産業を振興しようという団体や行政が、一般の 人にも飛行機についての知識や理解を深めてもらおうとスタートしたものだ。しかしその結末が、「飛行機はできても日本ではロクに飛ばせないとい うことがわかりました。それが日本の航空界の現状です」というのでは、夢も希望もない。

 飛行機を作って「飛ばす」という「MACH B&F」の挑戦は、これからが正念場といえる。







小山澄人さん
 以前から博物館のボランティアも務めており、レストアに興味がありました。航空機メーカーで生産技術関連の仕事をしているのですが、仕事でリベットを打つ機会というのはありません。実際に自分で作ってみることで、勉強になりますね。

井上尚さん
 学生時代からグライダーの操縦と整備の経験はありましたから、今度は飛行機を作って飛ばすのもいいなあと。これまで「本業」のお客さんから「ここが作業しずらい」といわれてもピンとこないことがあったのですが、いまは自分でさんざん苦労して「なるほど」と。勉強になります

柳瀬文昭さん
 誰もが気軽に旅客機を利用する時代ですが、その仕組みを知っている人はあまりいない。でも、あんなに大きなものを飛ばす技術というのは素晴らしいと思うんですよ。またそうした技術を培ってきた文化というものもある。そうしたことに興味をもってくれる人が少しでも増えてくれればいいなと思っています。

加藤陽子、吉永秀人、片山博文さん
 みな本業ではコンピュータで飛行機を飛ばすような仕事をしていますが、あまり「実機」にさわる機会はないんです。「それじゃいかん」と誘われました。コンピュータもいいですが、子供たちに紙ヒコーキとか教えてあげたいですね。

黒柳章さん
 自分たちで作って飛ばせるなら面白いと思って参加しました。飛んだら最高に感激するでしょうね。

引地由紀さん
 安村さんに「借り」があって参加しましたが、今は自主的に楽しんでいます。カッパの衣装は安村さんに着てこいといわれたわけじゃありません…、本当です。

橋本知子さん
 ミシンが使えるのでぜひ参加してほしいと頼まれました。最初に作ったのは飛行機ではなくワッペンでしたけど。

岸本昌文さん
 飛ばすのが本業なんですが、渡邉さんから「ヒマだろう。来い」と。本人を前にしているからじゃないですが、面白いです。ここはこうなっていたのかって、勉強になります。とりあえずフライトは渡邉さんや安村さんにおまかせしようと思っています。いや、自分で作ったものに自信がないわけじゃないんですが…。



写真と文 阿施光南
写真提供 MACH B&F
取材協力 かかみがはら航空宇宙科学博物館

NPO法人(特定非営利活動法人)MACH B&F
〒509-0115 岐阜県各務原市緑苑南3丁目86番地
電話番号/FAX  050-3407-3013
http://www.machbaf.org/